■「劇場」を考える発端
私達の職業は劇場コンサルタントという名前で、頭には「劇場」という言葉がついています。そもそも、私がこの世界に足を踏み入れた発端は、単純に演劇や音楽に興味があり、劇場空間に強い魅力を感じていたからですが、それと同時に、“劇場”という文字の見かけ、“ゲキジョウ”という響き自体にもドキドキ、ワクワク感を感じていたのだと思います。
また、仕事でお付き合いする劇場人が、劇場とホールという言葉を厳密に使い分ける場面によく出くわします。
そんなことから、「劇場ということばの背景になにがあるのか?」という素朴な疑問が湧いてきました。そこで今回は「劇場」という言葉で少々遊んでみたいと思います。
■「劇場」という言葉の使われ方
まず、言葉の意味を調べるといえばこれ、広辞苑をみてみました。“げきじょう―演劇・映画などを見せるために設けた建築物”。なんか味気なく感じます。私達のイメージしている劇場という言葉にはそんな味気ないものではない、なにかワクワクした感じがあります。
そこでこの言葉の使われ方を調べてみました。
最初に書籍のタイトルの世界です。有名なところでは「人生劇場」がすぐに頭に浮かびますが、ほかにざっと並べただけでも、「脳という劇場」、「熱帯雨林劇場」、「平成永田町劇場」、「運命の劇場」、「宇宙船地球大劇場の生命物語」、「ニューヨーク街路劇場」、「いいわけ劇場」、「スタートの下の劇場」、「椅子劇場〜家具未来形」などがありました。
これらは、先ほどの広辞苑に載っていた以上の意味合いで使われていると思います。
つまり、その世界で営まれる、多様で、ドラマティックで、アクシデントが起きそうなワクワク感や期待感がこめられています。
また、インターネットを「劇場」で検索してみても、この言葉を使っているサイトは少なくありません。最近では、小泉首相になってからの政治を「劇場型政治」とか「劇場型民主主義」などを呼ぶ人もいます。(もっとも、これはスタープレーヤーで閣僚を固めて、その人気で押していく政治ということで、あまりいい意味はこめられていないようですが・・・)
■「劇場」でタイムスリップ
今度は、劇場という言葉をめぐって少しタイプスリップしてみましょう。上演する場の名前として、初めて「劇場」が使われたのは、以外にも1911年(明治44年)の帝国劇場が最初で、100年足らず前ということになります。(もちろん、それまでわが国に劇場空間がなかったという意味ではなく、あくまでも施設名に劇場を使っているかどうかという意味です。)
皆さんもご存知のとおり、日本の芝居小屋の名前は中村座や森田座などの江戸三座に代表されるように“〜座”という名前が圧倒的に多く、芝居小屋の一般名称としては、劇場ではなく戯場(ぎじょう)という言葉がつかわれていました。戯場という言葉は中国の隋の時代にその由来があるそうですが、わが国での使用例としてわかっている記録では「戯場並娼街制規」(1668年)、「戯場節用集」(ぎじょうせつようしゅう、1801年)、「戯場訓蒙図彙」(ぎじょうくんもうずい、1803年)などがみつかるほか、歌舞伎の戯曲にも伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)、万代不易戯場始(ばんだいふえきしばいはじまり)などに「戯場」という言葉が使われています。ただ、ご覧のように戯曲では「しばい」とか「かぶき」とかと読まれていたようです。
一方「劇場」は、施設名での使用例の第一号は帝国劇場ですが、その他一般の使用例としては、渋沢栄一が徳川昭武ら幕府使節団の欧州視察記録を1870年にまとめた「航西日記」の中でマルセイユ港に到着した1867年2月に「劇場を見るに陪す」とあり、その後にも「晴夜八時より仏帝の催せる劇場を看るに陪す。この劇場を看るは・・・」と記されています。
また1871年に岩倉使節団の記録をまとめた「特命全権大使米欧回覧実記」にも、「夜米公使の誘引にて、カリホーニャ・ゼートル(カリフォルニア・シアター)の劇場に赴く・・・」とあります。その他、東京府が施行した「劇場取締規則」(1882年、明治15)でも「劇場」という言葉を“発見”しました。
劇場という言葉はいつから使われ出したのかという素朴な疑問から始めたものの、『その昔の戯場が劇場に変わったのか?』、『一見「戯場」と「劇場」は見かけが似ていて、当て字的に変わっていったのか?』など、どんどん疑問が深まるばかりか、劇場という言葉の起源にせまることはできませんでした。今回は身の回りにある書物の範囲のみで調べましたので、今後もっと調べてご報告したいという決意表明のみでご勘弁下さい。
ともかくも、江戸後期から明治にかけて「劇場」という言葉が使われだしたことと、その時期に欧米の劇場文化との出会い、わが国への欧米文化の大量流入、それらの一連の流れとしての演劇改良運動などと、少なからず関係しているのではないかと想像できます。演劇改良運動は新政府や幕府の視察団が渡欧した際、劇場の観劇が賓客の恒例行事として行われた経験を背景に、それをわが国に当てはめたときに、人情主義で淫猥な面すらもつ当時の芝居が外国の賓客を招待するに値しないと判断され、これらに耐えうる芸術にしていこうという政府主導の発想から生まれており、「悪所場」や「芝居ごとき」という当時の芝居小屋の評判から脱却し、これまでとは一線を画した上演施設や上演作品を作っていこうという考えが柱になっています。
そして、その流れがわが国初の洋式劇場としての帝国劇場の誕生につながったことを考えると、「座」ではなく「劇場」と冠することは、これまでとは違うということの意思表明であったと思います。
そして「帝劇を見ずして芝居を談ずるなかれ、三越を訪わずして流行を語るなかれ・・・」、「今日は帝劇、明日は三越」という有名なキャッチコピーが示すように、「日本最新式の芝居」を上演し「完全洋式劇場」である帝劇が文明開化(西洋化)の象徴でもあり、その衝撃の強さゆえに以降、劇場を冠する施設が出てきたり、座から劇場へと改称する小屋(神田三崎町の三崎座が神田劇場へ、浅草の蓬莱座が駒形劇場へそれぞれ改称)が出てくることになります。また劇界でもヨーロッパの演劇の影響を受けた小山内薫、市川左団次により立ち上げられた新劇の劇団名や施設名に「劇場」が用いられたこと(自由劇場や築地小劇場)も、こうした考え方が底流にあったのではないかと思います。
同時に、こうした帝劇や築地小劇場の活動は別にして以後現代に至る間に、建物としての「劇場」と作品としての「芝居」や「演劇」が遊離していったことは事実です。
■さいごに
今回は劇場の本来的な意味を抜きにして、「劇場」という言葉の持つ魅力やその背景を明らかにしたいという素朴な疑問から始めましたが、調べ始めてみると非常に奥が深く、片手間ではいいかげんなことしかわからないということを痛感しました。
しかし本来の目的ではありませんが、その昔、戯場(=劇場)が「かぶき」とか「しばい」と読まれていたほど、建物と狂言が密着していた時代をうらやましく思いました。そして現在、書籍のタイトルなどで使われる「劇場」という言葉は作品と空間が密着し、観客その他のそこで行われる人々の営みやガヤガヤ感を含んだ空間としての表現であり、皮肉にもわが国で「劇場」という言葉が使われる以前の状態のほうがそのイメージにマッチしているということも感じました。
わが国で劇場という建物とそこで上演される作品が遊離し、建物という意味にしかとられない劇場が多い現在、冒頭で紹介した劇場人達の言葉の使い分けには、本当の劇場を作りたいという強い意志を感じます。そして、「劇場」という言葉が「しばい」とか「かぶき」とかと自然に読まれるような「げきじょう」を作りたい、それが今回の言葉をめぐる遊びの私なりの結論なのでした。
- 参考文献:
- 帝国劇場開幕 [中公新書]
- 劇場をめぐる旅〜芝居小屋建築考 [INAXギャラリー]
- 劇場〜建築・文化史 [早稲田大学出版部]
(株式会社シアターワークショップ 戸田直人)
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■市長は迫りでの登場!
「北九州劇術劇場」があるリバーウォーク北九州のオープン(4月18日)後も開館準備のため開放されていなかった劇場フロアの6階へのエスカレータが3時少し前に動き始め、初めて一般客が自由にアクセスできるようになりました。
大ホールエントランス前で受付を済ませホワイエに入ると、小倉城の眺めを楽しんだり、座席の確認をしたり、歓談したりと、招待客皆それぞれに新しい空間でのひと時を過ごしています。
観客席に入りいよいよ式典の始まりです。
舞台前面に張られた紗幕を大型スクリーンに映像が映し出されます。
紗幕の後ろの舞台の照明が徐々に明るくなり、紗幕を通して舞台の中が透けて見えるようになってくると、舞台のバトン類が音楽に併せスムーズな動きを見せ、そこで紗幕が落とされて本格的にバトン類の動きが見えてきました。一般の方は通常目にすることのない舞台設備がテンポの良い動きを見せます......と思っていたら、小迫りがあがってきて 何と!迫り上には市長が!!迫りでの登場です。
他の主賓の方々は残念ながら迫りでの登場ではなく、ちょっとうらやましそう。
■釘となぐり(かなづち)で「くぎ打ち式」
こうして市長挨拶、主賓の方々からの祝辞をいただき、通常であればここで「鏡割り」というところなのですが、持ち出されてきたのは1本の「角材」。
劇場のオープンにちなみ、舞台につきもの釘となぐり(かなづち)で主賓の方々による「くぎ打ち式」となりました。
あらかじめ角材に軽く打ち込まれた釘を、掛声と共に一斉に打ち込む!カーーン!(と期待したのですが、なかなか難しそうで)カン、カン、カカン、カンカン・・・
釘が無事打ち込まれ、祝砲が!(フロントサイドの足元に何かあるぞ あれは何かな?と思っていた筒状のものは大型クラッカーだったのですね)
銀色のテープが宙を舞います。テープが飛んだ前の方の招待客はそのテープを1ヵ所にかき集めたり、ポケットにねじ込んで休憩時間にゴミ箱に捨てたり 踏みつけにする人もなくさすがです。
(ここで休憩10分)
後半は、
- 劇場開き 狂言師・野村萬斎による「三番叟」
- 祝賀狂言 野村万作他万作の会による「末広かり」
これにて無事開館記念式典が終了しました。
今後も各ホールでは開館記念の催しが目白押し(ニュースVOL039参照)。積極的な創造活動が期待される北九州発信の情報に今後もご注意ください。
※北九州芸術劇場は北九州芸術文化振興財団が運営しています。