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No.008

"鬼剣舞の里" 岩手県北上市に、新たな文化の胎動・・・
平成15年秋に「(仮称)文化交流センター」がオープン!

(仮称)文化交流センター・鳥瞰 イメージ

仙台から東北新幹線で北に約1時間。北上市は、東北本線と北上線、北上川と和賀川、東北自動車道と東北横断自動車道が交わり、北東北の産業・交通の基点となっている、岩手県で2番目の規模の都市です。宮澤賢治の作品の中にも登場する伝統芸能"鬼剣舞"(おにけんばい) の発祥の地で、江戸時代には伊達藩・南部藩の領地の境界に位置し、今日も"藩境塚"(はんきょうづか)の跡が点在して残っているなど、歴史風土豊かな町ですが、平成3年の市町村合併で誕生した新しい街でもあります。

この北上市では昭和39年に岩手県で最初の市民会館「北上市民会館」がオープンしましたが、老朽化に伴い、また今後の市の都市計画の関係で、惜しまれながら平成15年の初めに閉館・取り壊しとなります。現在、新しく「(仮称)文化交流センター」の計画が進行中で、平成15年秋の竣工を目指して、今秋にも建設工事が始まる予定です。

(仮称)文化交流センター・大ホール イメージ
(仮称)文化交流センター・大ホール客席 イメージ

施設構成としては、大ホール(固定席約1,300席+立見席約200席)と中ホール(固定席約450席)のほかに、発表会やライブにも利用できるリハーサル室・録音や編集が可能なスタジオ・練習室8室・会議室2室・和室3室・アトリエ3室・多目的室2室などからなる"アート・ファクトリー"があり、バラィエティーに富んだ事業展開の可能性を秘めた建物になります。

建設の計画と並行して、市民有志のワーキンググループが昨年6月から定期的に集まり、「この施設をどのように管理運営していくべきか。どのような事業を実施していくべきか。将来のこの街の文化の姿はどうあるべきか。」について、市の担当者と一緒に検討を重ねてきています。

北上市民会館・外観

2年後にどのようなオープニングを迎えるか、乞うご期待! なお、詳細については下記にお問い合わせ・アクセスください。

北上市・文化交流センター建設室  電話:0197-64-2111(代表) 内線3252
北上市ホームページ・アドレス  http://www.kitakami.ne.jp/~kitakami/index_h1.html

「北上みちのく芸能まつり」が毎年8月7日から8月9日までの3日間にわたって開催され、"鬼剣舞"をはじめとする地域伝統芸能の数々を堪能できます。
「北上みちのく芸能まつり」ホームページ・アドレス  http://www.kitakami.org/maturi/

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No.009

1911年に誕生した日本初の西洋劇場
〜旧帝国劇場誕生から90年〜

本ニュースでは、最も新しい劇場・ホールを紹介してきましたが、今回は趣向を変えて、最も古い西洋劇場のお話です。

白亜の殿堂と呼ばれた帝劇外観
 
馬蹄形を描く観客席

 

1990年代に入り、新国立劇場や愛知芸術文化センター等のオペラ劇場が登場してきました。しかし、それを遙か80年も遡る1911年に日本初のオペラ劇場は誕生していたのです。現在でもミュージカル等で知られる帝国劇場は今年で90歳。当初は株式会社帝国劇場として営業していました。資料が稀少の為あまり知られていませんが、当時の100万円という建設費を投じた豪華絢爛なオペラ劇場だったのです。

客席数は1700席程度。二層の馬蹄形桟敷席を持ち、天井には同心円上に装飾画、緑を基調とした内壁には金色の細工が余すことなく施され、眩い世界を創出していました。客席からの最大視距離は25mと収容人数人数の割にはコンパクトにまとめられていました。一方、舞台側はプロセニアムの間口が14.4m、高さが7.2m、舞台の幅は25.2m、奥行が16.2mで、舞台寸法の比率において、それまでの芝居小屋から西洋劇場への移行を示していました。舞台特殊設備もオペラ、バレエ等の上演が行える様、ドイツ製(ベルリン・ゲバー社、ジーメンス社等)が導入されました。その他、休憩所や食堂、売店、屋上庭園など、社交の場としての空間が多々用意されていました。

しかし、なぜ西洋劇場だったのでしょうか。帝劇は民間設立といっても政界、財界の重鎮たる面々の支持による国家レベルの事業でした。その目的の一つに「海外からの国賓をもてなす為の施設」がありました。ならばむしろ日本の伝統様式の方が適していたのではないでしょうか。西洋様式にするか伝統様式にするかの問題は設計者の横河民輔に委ねられました。彼は大正13年発行の「帝劇臨時号」の中で、次の様に回顧しています。「一体帝劇は誰のために造るのか、公衆である。営利が目的でない以上は公衆の美的趣味を世界的に導く方がよい」。つまり彼は国賓ではなく公衆のための劇場を選びました。そしてその手法として西洋劇場を選んだのでした。


和田英作の天女が一面に描かれた客席天井
 
結城素明のデザインによる緞帳

 

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