| No.012 |
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「原町市民文化会館(仮称)」 平成15年度の竣工を目指して
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原町市は、人口5万を数え、福島県太平洋沿岸北部に位置し「豊かな緑 ひといきいき きらめくふるさと」をキャッチフレーズに、相双地方の中核都市として躍進を続けている市です。
また観光としては、原町市を中心に相馬地方で開かれる全国有数の馬事イベント「相馬野馬追*」や相馬民謡は全国的に有名です。
その原町市に現在、新しい「原町市民文化会館(仮称)」の計画が進行中で、平成15年度の竣工を目指しています。
施設構成としては、大ホール(約1,100席)のほかに、発表会や練習にも利用できる多目的ホール・アートプラザ・スタジオ・練習室・情報コーナー・ギャラリーなどがあり、さまざまな事業展開の可能性を秘めた施設になります。
また、建設の計画と並行して、市民文化会館運営検討委員会を定期的に開催し「この施設をどのように管理運営して、どのような事業を実施するのか。」などについて、議論・検討を重ねています。
「原町市民文化会館(仮称)」は地域住民の文化的生活を支援し、様々な価値観を認め合い共有できる地域社会としての役割を目的とした施設を目指していきます。
- *相馬野馬追
- 毎年7月の下旬に甲冑に身をかためた六百余騎の騎馬武者が、腰に太刀、背に旗差物をつけて野馬原を疾走する、力強く勇壮な戦国絵巻。
<由 来>
相馬藩の始祖「平小次郎将門(たいらのこじろう まさかど)」は今をさかのぼる一千余年の昔、相馬御厨(みくりや)の官職に有った頃、新しい軍事力として馬の活用を考え、下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県流山市付近)の牧に野馬を放牧し、関八州(北関東八ヶ国)の兵を集め、野馬を敵兵に見立て野馬を追い、馬を捕らえる軍事訓練として、また、捕らえた馬を神前に奉じ妙見の祭礼として行ったのに始まるといわれる。
その後、今から約670年前の元享3年(1323年)、相馬氏はそれ迄不在にしていた奥州、行方群(現在の原町市)に移り住んでからも、代々相馬藩主が明治維新までこの行事を連綿と続けたのが由来とされています。
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【お問い合わせ】
市民会館建設室 電話:0244-24-5817
原町市役所ホームページ・アドレス http://www.city.haramachi.fukushima.jp
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No.013 |
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バイロイト祝祭劇場にまつわる物語
〜兄弟関係にある劇場達〜
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今回は、楽劇ファンと建築ファンに贈る歴史物語(実話)です。
劇場の近代を語るときに、必ず取り上げられる劇場があります。作曲家リヒャルト・ワーグナーが拠点としたバイロイト祝祭劇場です。現在でも毎年夏にはフェスティバルが開催され、ワーグナー作品が新しい演出にて上演されています。この劇場が近代的と語られる所以は、それまでの多層型のバルコニー席や、馬蹄形の客席形状を廃し、同心円上の扇形とし、観客の鑑賞条件を均等化したこと等が挙げられています。
しかし、この劇場はある劇場案の代替であったことはご存じですか。バイロイト祝祭劇場は煉瓦の外壁が美しく品格のある佇まいをしていますが、当時としては破格の廉価で建てられていたそうです。
(当時の日本円で約15万円。同時期の劇場としてはパリのオペラ座が1500万円、日本の帝国劇場が100万円でした。)
話は19世紀後半のミュンヘンに遡ります。バイエルン国王のルードヴィッヒII世の援助を受けていたリヒャルト・ワーグナーは、イザール河畔に祝祭劇場を計画しました(ミュンヘン祝祭劇場)。その設計を担当したのがワーグナーと友好関係にあった建築家ゴットフリート・ゼンパーでした。彼は、古典の劇場に改良を加え、半円形であった客席をより見やすくするために扇形に変更しました。しかし政治的な問題により、この劇場は実現せず、またワーグナーはミュンヘンを追われてしまいました。
その後ワーグナーは資金を集めながら、新しい拠点を探し求めました。そしてたどり着いたのが、バイロイトという片田舎の小さな街でした。そこにはバロック期に建てられた辺境伯のオペラハウスがあり、楽劇を創造する土壌として適しておりました。ここで、再びワーグナーはゼンパーに設計の依頼をしましたが、ゼンパーは以前に建てたドレスデン歌劇場の改築のために断りました。現在に至るそのドレスデン歌劇場(第二次)が、まさしく計画中止となったミュンヘン祝祭劇場の姿をしているのです。
ゼンパーに設計を断られたワーグナーは若手の無名建築家に設計させ、自分とゼンパーの思想を反映した劇場をできるだけ廉価で建設しました。これがバイロイト祝祭劇場なのです。当時、建築としては殆ど話題にはならなかったのです。なぜならば、同じ頃パリのオペラ座やドレスデンの歌劇場等、荘厳な劇場が各都市に立ち並ぶ状況に埋もれてしまったからです。
以上の話から、ミュンヘン祝祭劇場、バイロイト祝祭劇場とドレスデン歌劇場は兄弟関係にあると言えるのではないでしょうか。この話には後日談があります。ミュンヘン祝祭劇場が建設される予定だったイザール河畔近くには、ワーグナーの影響を受けた建築家マックス・リットマンの設計によるプリンツレゲンテン劇場が建設されました。この劇場はまさしくバイロイト祝祭劇場と同じ平面をもつ、弟分の劇場なのです。
不思議な縁ですね。
(小林徹也)
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